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2017.04.12 Wednesday

平成29年春の桜事情

 今年の桜の開花は自分の記憶にないほど遅かった

 4月1日となると、去年まではとっくに満開近くなっており花見の頃到来である。

 それが今年の桜は蕾が固く、いっこうに咲く気配がない。

 ”Silent Spring”である。

 当初より、今年は西日本では休眠打破が鈍く関東より遅れる予想ではあったが、それに春先の低温が拍車をかけ異例の遅さになったものと思われる。

 それにしても、いつもより10日ほど桜の花が遅かった

 松山地方気象台の観測記録では、桜の開花が最も遅れた年は1957年(昭和32年)で、今年と同じく"酉年”である。

 過去の酉年をみると、

  ・1957年(昭和32年)は8月までは日照不足多雨傾向

  ・1969年(昭和44年)は西日本は梅雨の豪雨に見舞われ北日本は冷夏

  ・1981年(昭和56年)は春先に寒波が南下し夏から秋にかけて天候不安定

  ・1993年(平成5年)の夏は記録的な低温となり長雨と日照不足で平成の大凶作

 まさに「酉年は荒れる」の言い伝えのとおり不安定要素が多い。

 ”各々方、ご油断召さるなよ!”

 

■平成29年4月1日のあらし山の桜(今年)

170401桜開花せず

■平成28年4月2日のあらし山の桜(去年)

160402桜開花

2016.12.21 Wednesday

「歌は文学か」素晴らしい答え

 今年のノーベル賞授賞式には文学賞を受賞したボブ・ディランは出席しなかった。

 晩さん会では、代わりにバティ・スミスが代表曲の「はげしい雨が降る」を熱唱した。

 緊張して歌が止まり、やり直す場面もあったが素晴らしい歌声だった。

 ボブ・ディランのスピーチは駐スゥェーデン米大使が代読したが、ディランらしい内容だったと思う。

 まず「出席できずに申し訳ありません」とお詫びをした後、過去の受賞者であるトーマス・マンやヘミングウェイら「文学界の巨人」を列挙し、その中に自分の名が連ねられることに「言葉を失う」と喜びを表した。

 続いて劇作家であるシェークスピアも考えていたのは舞台のことで「文学」という意識はなかったはずだと指摘し、同じように「私のしてきたほとんどすべてが歌である」と言い、「自分の歌は文学なのだろうか」と自問したことはないとしながらも、その問いに答えを導き出してくれたスウェーデン・アカデミーの選考に謝意を表した。

 いかにもディランらしい憎い演出である。

 そういえば、ディランの歌がメジャーになったのは彼の歌声よりもカバーした歌手によるものが多い。

 有名な「風に吹かれて」もPP&Mで有名になったし・・・。

 今回もディランのダミ声よりも、パティ・スミスのほうがいいに決まっている。

 でも、ディランは結構シャイなのかもしれないな。

 

2016.12.21 Wednesday

学びてときに之を習う〜年輪塾「処志」〜

 年輪塾は開塾して10年が経過した。

 10年ひと昔と言われるが、ひとつの区切りであることに違いはない。

 この10年は塾訓にあるように、一期を2年として先人(宮澤賢治、宮本常一、二宮尊徳、ジョン万次郎、中江藤樹)に学んだきた。これらの先人に学びために、それぞれに伝道者を自ら選び出し、従来の内容にこだわらず、自分たちが嚙み砕くように学び、一期毎の終わりには公開セミナーを開くなど記録としても残してきた。

 多くの学びを得たと思ってはいるが、学びの真価はこれからである。

 

【大學】には、次のように書かれている。

 「その心を正しうせんと欲する者は、まずその意(こころばせ)を誠にす。

  その意(こころばせ)を誠にせんと欲する者は、まずその知を致す。

  知を致すは、物を格(ただ)すにあり。

 〜ここにある”意(ここばせ)”というのは、心の在り方である。

  「知を致す」ということは、知識を得て知恵に至るということである。

  「物を格す」とは「自分自身を正す」ことである。

  (自分も物の一つであり、突き詰めていえば自分を正すことになる)〜

 

『二宮翁夜話』には【大學】のこの一節について、下記のように記されている。

  ”まず智をみがき、礼を行い、義を踏み、仁に進むがよい。

   それゆえ大學では知をいたすを初歩としている。

   瓦というものは、みがいても玉にはならぬ。

   けれども幾分、光を生じて滑らかになる。

   これが「学びの徳」なのだ。”

 

『知行合一(ちこうごういつ)』

   【大學】には、

  ”知るというは行いの始めであり、行いは知るということが成ったものであって、実はこれは一つである。

  だから、行わなければ本当に知ったとは言えない”とある。

  これを「知行合一」といい、「知る」ことは「行う」ことと一つである。

 「二宮金次郎」は、この「知行合一」(知識と行動の一致)を自ら実践し、道徳に基づいた社会づくりを行い、豊かな実りと心の

  芳醇をもたらした人である。

 「道徳なき経済は悪であり、経済なき道徳は寝言である」という言葉は、掛川の大日本報徳社の経済と道徳の門となっている。

 

 もとより『知行合一』を実践するのが、年輪塾の「処志」である。

 もともとは「中江藤樹学」の中で、童門冬二さんが書かれた「小説 中江藤樹」にある「処士」を年輪塾流にしたものである。童門さんは、”君子=処士”と描かれているが、これを「知識」と「志」の検定をもって認定制度化した。

 年輪塾流の『知行合一』を実践するためには、「処(所)」いわゆる活動拠点を持ち、成し遂げる「志」が必要であるとの意味で「処志」が誕生した。

 今年の6月に「処士検定」(このときは処士だった)を実施し、第一号として眞鍋塾生が合格し「処士認定」を受け、処士の看板が若松塾長より授与されたことは記憶に新しい。

 さらに12月17日には、若松塾長が年輪塾の「処志」総括として人間牧場に看板を掲げ、辻先生と私が「処志」師範の認命を受け、この10年の学びを礎として新たな展開を行うこととなった。

 これから「処志」による年輪塾の私塾ネットワークが始まる!

 

■年輪塾「処志」総括看板を人間牧場に掲げる!

161217年輪塾「処志」総括看板

■年輪塾「処志」についての想いを語る若松塾長

161217年末塾にて

2016.12.09 Friday

♪花は咲けども♪〜不思議なめぐり合わせ〜

 11月24日木曜日、八幡浜市での影法師ライブの当日の朝のこと。

 愛媛新聞を読んでいるとコラムの「地軸」欄に、ふと目が止まった。

 「桜のトンネル」と「福島県富岡町」という冒頭の言葉に、”アレッ、どこかで聞いたことのある言葉だなぁ”と思い、

 読んでいくと、これは影法師が歌っている「花は咲けども」の現場ではないか!

 なんという、めぐり合わせ!

 影法師は、この「桜のトンネル」を目にし福島原発事故の現実に直面した。

 そして、今になっても帰りたくても帰れない人たちがいること知り、「花は咲けども」が誕生した。

 影法師は同じ東北人ではあるが、この曲を福島では歌えなかった。

 帰りたくても帰れない人たちの気持ちを思うと、歌うことを躊躇したという。

 故郷に帰りたくても帰れない現実があることを影法師は稲刈りが終わり、農作業がひと段落すると全国に伝え歩いている。

 八幡浜での影法師ライブの模様は、翌々日の愛媛新聞の七面に掲載された。

 ”記録されるものだけが記憶される”というのは民俗学者である宮本常一氏の言葉であるが、愛媛新聞のお陰で影法師の「志」が広く知らされ記録として残ったのはうれしい。

 さて、残るは影法師が残した「花は咲けども」をどう歌い繋ぐかだなぁ。

 歌うことは、伝えることである!

 To be, or not to be, that is the question. 

 

■愛媛新聞「地軸」平成28年11月24日付

愛媛新聞「地軸」

 

■愛媛新聞 平成28年11月26日付

愛媛新聞「影法師ライプ」

 

 

 

 

 

2016.12.03 Saturday

影法師ライブ in 八幡浜(美しい村) 

 影法師の八幡浜ライブのラストソングは「美しい村」

 この曲は10数年前にテイチクから発売されたそうで、その後別の方がカバーしてカラオケDAMに入っているらしい。

 地域づくりのテーマソングのような曲である。

 最後にボーカルの横澤さんがギター一本で歌い、みんなで手拍子して合唱した。

 影法師らしい温かなライブで、参加者からは大好評。

 ちなみに彼らは楽器や機材を軽のワゴンに積み込んで、山形から自前でやってきた。

 その志は高く、彼らに完全に脱帽!

 

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