風の便り from あらし山

雲の変化を愛でて、自然の移ろいを語り、人生の機微を楽しむ。ある時はミカン山から、ある時は雑踏の中から、雲の変化の如く・・・。
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「雨ニモマケズ」in あらし山

「雨ニモマケズ 風ニモマケズ
  雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
  慾ハナク 決シテ瞋ラズ
  イツモシヅカニワラツテイル
  一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
  アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
  野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
  東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
  西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
  南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
  北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
  ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
  ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ
  サウイフモノニワタシハナリタイ 」

 

 手帳に書かれた宮澤賢治の遺作のメモで、一般には詩として広く知られており、「雨ニモマケズ / 風ニモマケズ」に始まり、「ソウイフモノニ / ワタシハナリタイ」で終わる漢字交じりのカタカナ書きである。これにメロディーを付けて歌にしたものは多いが、そのなかで宇佐元恭一さんが作られたメロディーを特に気に入り、ご本人の了解を得て歌っている。これは”あらしやま山荘”での「楽農ゼミナール」のご挨拶がわり皆でシングアウトしたもので、演奏は自称”あらし山報徳バンド”であるが、如何せんバラバラでシロウトも甚だしく、合わせて練習しここともなくイキニナリであり聞くに堪えないが、これも仕方がない。

 歌うことに意義がある!・・・と思っている次第。

 宮澤賢治がこうありたいと願った生き方を綴ったもので、原曲は”G”だが、キーを”D”にして歌っている。この「雨ニモマケズ」を暗記しようとするとなかなか手ごわいが、歌うとすぐに覚えられるから不思議である。そして、少しでもこのようになりたいと常々思いながら、今日も歌い続けている!

 

 「欲はなく決して怒らず<、いつも静かに笑っている。

    あらゆることを自分を勘定に入れずに、よく見聞きし分かり、そして忘れず。

   みんなにデクノボーと呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず。

   そういうものに、わたしはなりたい。」

 

「雨にも負けず 風にも負けず

 雪にも 夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち

 欲はなく決して怒らず いつも静かに笑っている

 一日に 玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ

 あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず

 野原の松の林の陰の小さな茅葺き小屋にいて

 東に病気の子どもあれば 行って 看病してやり

 西に疲れた母あれば 行って その稲の束を負い

 南に死にそうな人あれば 行って 怖がらなくてもいいと言い

 北に喧嘩や 訴訟があれば つまらないからやめろと言い

 日照りの時は 涙を流し 寒さの夏は おろおろ歩き

 みんなにデクノボーと呼ばれ ほめられもせず 苦にもされず

 そういうものに わたしはなりたい」

「楽農ゼミナール」2018 〜鎌倉研の歌と語りァ

この曲はカントリーぽく、アメリカを思わせる 好みの一曲である。

うまいねぇ。

【Western Lullaby】

 

ついに2時間に及ぶ今夜のラストソングです!

参加者全員を巻き込み、日土町のご当地ソングとなるか!

【ちょっと待って日土町&八幡浜】

 

終いのアンコール曲。鎌倉さんは今日から禁煙、プカプカとさようなららしい。

それにしても、いったい今夜は何曲歌ったの?

【プカプカ】

「楽農ゼミナール」2018 〜鎌倉研の歌と語りぁ

この曲は、鎌倉さんが作った ご当地ソング。

最初から読んでも最後から読んでも”ツルワルツ”

【都留ワルツ】

 

いよいよ佳境に入ってきます!

ご存じ、この歌は”園まり”、”藤圭子”が歌っているが、フォークシンガーの”三上寛”の歌が聴きごたえ十分!

【夢は夜ひらく】

 

いよいよ「濡れ色の想い出」です。

この歌の情景がいいですねぇ。名曲だと思いますよ、鎌倉さん!

【濡れ色の想い出】

「楽農ゼミナール」2018 〜鎌倉研の歌と語り〜

この曲は「浅草染太郎お座敷LIVE」のCDに入っている。

軽妙なリズムがいいねぇ。

【上海Good Old Days】

 

続いての曲は大阪の歌を作ってくれ頼まれ、お礼にタオルを作ってもらったそうである。

船場という名前の響きはいいねぇ。

【船場浪漫】

 

鎌倉さんが初めて作った曲らしい。

「大阪」懐かしい響きやねぇ!

この歌、大好きでっせぇ〜。

【Osaka Blues】

 

 

 

 

「楽農ゼミナール」2018 〜鎌倉研の歌と語り◆

 次の曲は、仙台の空襲を取り上げたものである。

 あらしやま山荘の仏間にある戦死した叔父の写真を見て、歌おうと思ったと話している。

【ブラザー軒】

 

”鎌倉さん、今日のメンバーは「ぼやきフォーク」が通じるよ”と耳打ちしたら、この曲となった。

思った以上に反響があり、同世代の共感を誘ったかもしれない。

【チューリップのアップリケ】

 

続いて”ブルーズ”である。

鎌倉さんの歌を聴いていると、上田正樹を彷彿とさせる。

ぜひ歌って欲しかった曲である。

【Bluesやって】

 

 

 

 

 

 

「楽農ゼミナール」2018 〜鎌倉 研さんとの出会い〜

 ”鎌倉 研”さんと初めて出会ったのは、平成28年10月28日のことである。

 松山市内のライブハウスで、楽農ゼミナールで友情出演をしていただいた中村さんが野村町でコンサートを企画された折に、フォークシンガー”鎌倉 研”という名前に出会った。誰だろうと調べると、北野たけしの「北野フォーク人生王」という番組で「彼はドアマン」を歌っていた映像を見た。この時のギター伴奏が、なんと中川イサトさんである。うまいなぁ!

 ライブハウスでの鎌倉さんの語りと歌に、すっかり惚れ込んでしまった。

 今回、ゼミナールと称したのは鎌倉さんの軽妙な語りの中に人生を感じたからで、彼のライブは講演そのものであり、歌とあわせた”講演ライブ”となった次第。

 この日の最初の曲は、その「彼はドアマン」である。

【彼はドアマン】

 

 二曲目は私に捧げてくれたらしいが、もっていき方が憎いね!

【男同士の話をしよう】

 

三曲目は”濡れ色の想い出”というCDの最初に入っている曲です。

【夕暮れ】

「楽農ゼミナール」2018 〜宮澤賢治との出会い〜

 宮澤賢治の「農民芸術概論綱要には、こう書かれている。

〜 おれたちはみな農民である。

    すいぶん忙しく仕事もつらい。

  もっと明るく生き生きと生活をする道を見つけたい。

  いまやわれらは新たに正しき道を行き、われらの美をば創らねばならぬ。

  芸術をもてあの灰色の労働を燃やせ。

  なべての悩みをたきぎと燃やし、なべての心を心とせよ。

  風とゆききし、雲からエネルギーをとれ。

  ここにはこれら不断の潔く楽しい創造がある。

  都人よ、来ってわれらに交われ、世界よ、他意なきわれらを容れよ。〜

 ・・・と。

 この「農民芸術概論綱要」を知ったのは、今から10年前のこと。

 年輪塾の第一回目の公開セミナーに山形から農民詩人でもある"星 寛治"さんをお招きして「宮沢賢治と私」と題して講話をしていただいた時である。上記の文章はかなりの要約であるが、この中に宮澤賢治の志が凝縮されていると思っている。

 小さい時から来る日も来る日も、ミカン山で農作業をしている両親の後ろ姿を見て育った。家業を継ぐ身であるにもかかわらず、その期待に応えられなかったが生まれ育った在所やミカンづくりが嫌いなわけではない。ただ成り行きに任せたわけではないが、振り返ると宮澤賢治を追いかけてきたたような気がする。

 学校では農芸化学を学び、仕事は土壌肥料の技術者だった。ミカン農家の出であるにも関わらず米麦の栽培指導もし、”あきたこまち”の導入や愛媛初のブランド米”こいごころ”を手掛けた。おまけに気象予報士となり”農家の農家による農家のための気象配信事業”の創業にも携わった。

 ちなみに、一番好きな宮澤賢治の作品は「グスコーブドリの伝記」である。

 羅須地人協会(らすちじんきょうかい)は、宮澤賢治が大正15年に花巻市に設立した私塾で、農学校を退職した後、ここに拠って自身も農業をしながら生活し、チェロを演奏しレコードを聴かせたりした。現在は花巻農業高校の敷地内に移築復元され、二度ほど訪れたことがある。

 定年を迎え両親がこの世にいなくなるなど想像もできず、生まれ育った我が家が負債として重くのしかかった。県の公益財団法人”えひめ地域政策研究センター”で地域づくりの仕事をし、若松進一さん達との出会いがなければ、この日は来なかったと思う。

 この10月8日は、生まれ育った在所を「あらし山」と号し生家を「あらしやま山荘」としてリニューアル現代の羅須地人協会として再生した日となった。これに先立ち、先月15日は掛川から大日本報徳社の鷲山社長が来られ、”ここは以前訪れたチロルの谷によく似てるよ”と言われた。それから、この在所を「あらし山チロルの谷」と称することにした。

 この日は地元八幡浜市日土町の皆さんなど49名の方が”あらしやま山荘”に寄り、鎌倉 研さんの歌と語りを堪能した。地元紙の愛媛新聞にも紹介され、ようやく”大願成就”である。

 生まれ育った在所と生家が”宝物”に変わった。

 有難い!

 

【10月15日付け愛媛新聞】

181015愛媛新聞「楽農ゼミナール」

【あらしやま山荘での「楽農ゼミナール」平成30年10月8日】

楽農ゼミナール2018

 

 

 

 

 

 

”Minato-machi Blues” in 八幡浜

  〜 背のびして見る 海峡を 〜

 ・・で始まるこの歌は、ご存じ森進一が歌った「港町ブルース」である。

 初めて聞いたのは中学生の頃だったと思う。

 北海道の函館を皮切りに、鹿児島県の枕崎まで日本列島を南下するように多くの港町が歌われている。

 4番目の歌詞の最後に”八幡浜〜”と出てきた時は嬉しかった。

 山間とはいえ、生まれ育ったのは「魚とミカンの町 八幡浜」である。

 ご当地地ソングと言えば、これしかない!

 ただ歌詞をよく見ると、港町とはいうもののほとんどが漁港である。

 しかも、いずれも太平洋側で日本海側の港町は入っていない。

 なんでだろう〜?

 この10月8日の「楽農ゼミナール」に、フォークシンガーの"鎌倉 研"さんに無理やりお願いして、ご当地ソングということで歌っていただいた。その折に、友人から”誰が詩を書いたんだろうね?”と尋ねられたが、作曲したのは猪俣公章さんだけど、アレっ誰だったけ?

 調べてみると、この曲は雑誌『平凡』が公募して、なかにし礼さんが補作したものらしい。

 皆さん、森進一は八幡浜を「やはたはま」と歌っていることを知ってましたぁ〜!

 

 それでは、"鎌倉 研”さんの「Minato-machi Blues」をお聴きください。

 松山には湊町もありますけど。

♪ 別れりゃ三月 待ちわびる

  女心の やるせなさ

  明日はいらない 今夜が欲しい

  港、高知 高松 八幡浜〜

 

レッドベリー、この”オッサン”は凄い!

 「くつが一足あったなら」の原曲である「Goodnight Irene」という曲を作ったレッドベリー(Lead Bellyという人を調べていると、なんとビートルズの誕生にも関係していたということがわかった。

 彼の生まれた年は1888年、日本では明治21年ということになる。
 このオッサン、有名な話だが人を殺めて刑務所に入っている
 彼の歌はよほど多くの人に感動を与える力があったらしく、服役中に書いた曲が州知事を感動させて、35年の刑罰から2年で釈放されたと言われているが、釈放されてから5年後に刑務所で再び服役している。この時は白人の音楽学者が州知事に早期釈放を陳情し、放免されている。

 まさに、”芸は身を助ける”とはこのこと!

 その後、出所してレコードを出すのだがセールス不十分で売れず、脅迫でまたまた刑務所に戻っている。
 1940年に釈放されるとフォークブームで、ウディ・ガスリーやピート・シーガーらに歓迎され、1950年代にはフォークが一大ムーブメントになる。
 一方、イギリスでは彼の歌が大ヒットし、それが「スキッフル・ブーム」を生み出し、これがビートルズなどブリティッシュ・ロック・バンドの誕生のきっかけとなる。”スキッフル”というのは、カントリー、ジャズ、ブルースなどの影響を受け、最近のバンドの原型だと思ったらいい。
 さらに、アメリカではピート・シーガーが彼の曲「Goodnight Irene」をカバーして全米ナンバー1になるが、この大ヒットは彼が死んだ1年後のことだった。この曲を気に入ってカバーしている人たちは数知れず、彼の歌はよほど多くの人に感動を与える力があったらしい。

 ・・・ということだが、レッドベリーの詳しいことは、鳥取のブルーズ野郎に教えてもらうとするか!

 

Leadbally

 

 

 

 

アメイジング・グレース

 5月29日の松田ari幸一さんのハーモニカライブのアンコール曲は、「アメイジング・グレース」だった。

 これは、かねてより私がariさんにお願いしていたものである。

 この歌の歌いだしは、このように始まる。

 

 ♫ アメイジング・グレース(なんと甘美な響きよ)

  私のようなろでなしでさえ、救ってくださった

  私はかつて道に迷っていたが、今は見つけだされた

  私の目は真実が見えなかったが、今は見える ♫

 

 この歌はイギリスのジョン・ニュートンという牧師が作った讃美歌だとされているが、実は彼の実体験に基づいて書かれたものである。彼は船乗りで、いろいろな船を渡り歩くうちに奴隷売買に手を染めて、若くして莫大な富を気づくようになる。

 アフリカで人々を拉致し”奴隷船”と呼ばれる船に乗せる。白人が行った黒人達の扱いは、家畜同様か、それ以下という。当時は、船自体の衛生状態が非常に悪く、たくさんの黒人達が感染症や栄養失調などで命を落とした。

 1748年5月10日、船長として乗船していた奴隷船が激しい嵐で遭難沈没の危機にあい、彼は、今にも沈みそうな船の上で必死に命乞いをしたという。敬虔なクリスチャンの母親に育てられたが、心の底から神に祈りを捧げたのは、これが初めてだった。

 彼の船は奇跡的に助かったが、彼は、この日を自分で"第二の誕生日"とした。

 その後、彼は奴隷売買から足を洗い、懺悔の意味もかねて牧師になった。そして、過去に罪深い奴隷売買に関わったことを深く悔い「こんなろくでなしの自分でも、神は赦してくださった」という感謝を込めて、この曲を書き上げたという。

 メロディーは、アイルランドかスコットランドの民謡を掛け合わせて作ったとか、19世紀に南部アメリカで作られたなど諸説あるが、詳しいことはわからない。

 アメイジング・グレースAmazing Grace)は「すばらしき恩寵」と訳されている。

 

【松田ari幸一さんの演奏で「アメイジング・グレース」を】

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