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2017.12.10 Sunday

処士(志)の意味を問う!

 11月23日(木)のことである。

 小説「中江藤樹」を書かれた作家の童門冬二さんと大洲市民会館でお会いすることができた。

 これは童門さんが大洲藩主加藤家-中江藤樹大洲入り400年事業で大洲市民大学に講演に来られることがわかり、特に辻先生にお願いして実現したものである。

 年輪塾では歴史上の人物を検証しながら自己研鑽をおこなっているが、二宮金次郎、ジョン万次郎に続いて中江藤樹先生を学んだ。その最初のテキストとして使用したのが「小説 中江藤樹」であった。

 この「小説 中江藤樹」に書かれていた「処士」に感動し、”処士になりたい”と叫んだのが当時県庁職員であった眞鍋さんである。

 小説には中江藤樹先生が「大學」を読んで感銘し、「処士」になろうと志を立てられたことが書かれていた。

 ゛「処士」というのはある程度の土地とか家屋などの財産を持っていて、生活するのにそれほど困らないという立場でありながら、自分の学説を国の外に出て説いて回る人々。「処士」というのは、この世に対する立身出世の私欲を捨てた存在だ。自分のまわりで暮らす人々の安寧だけを願っている。”

 その後、年輪塾では「中江藤樹学」の成果として、処士(志)の検定制度”をつくり、これを年輪塾の”修士課程”としている。

 年輪塾でいう処士(志)は、「大學」の素読と講釈ができる程度の学力を有し、処(ところ)を得て「志」を立て実践する

者をいう。「処志」となりたいものは、まず”処志師範”の薫陶を受け師範から推薦されなければならない。そのうえで処志検定試験を受けることになる。

 世の中には、ともすれば”本末転倒”になることが多い。

 大學には「物に本末あり、事に終始あり。先後するところを知れば、則(すなわち)道に近し」とある。

 仕事でも地域づくりでも、現象捉えるのみで学んでいることの多くは各論ハウツウであったりするすることが多い。

 人生においても仕事でも、直接的に役に立たない基礎的な学問が必要である。

 年輪塾で調査した二宮金次郎像が持っている本は「大學」であり、中江藤樹先生が感銘したのも「大學」である。

 だからこそ、年輪塾の「処志」になるためには必ず「大學」を自分のものにしなければならない

 

 この日、童門冬二さんにお会いし処志要綱をお渡しすると、小説に書いたことが実際に行われていることに驚かれた

 そして、次のようなことを教えていただいた。

 ・「処士」は現在の中国にはないが、実際に古代の中国において行われていたこと。 

 ・「大學」は論語などに比べると文字数が少ないが、孔子の教えの”唯一の理論書”であること。

  これをマスターすれば誰でも「処士」になることができる

 ・「処士」は、今でいえば経済的にも自立し、民間人だが政治や経済など物事に対してしっかりとした自説を持っており、組織などのリーダーに対して意見具申がキチンとできる人のことを言うこと。昔から大衆は付和雷同しやすく惑わされることが多いが、その大衆を導きアウフヘーベン(高揚)することができる人である。

 ・常に他人の立場にたって物事を考えることができる人でもある。

 

 処志師範の役割は「大學」をマスターする過程で人生の棚卸をし、それでもって新たに”志”を立てられるように導くことである。

 このことを眞鍋処士に続く、上田処志・兵頭処志が大學をマスターする過程で学んだ。

 そうでなければ、年輪塾の「処志」が”看板倒れ”になってしまう

 ”学ぶ”ということは難しい、これを還暦をすぎてから実感した。

 これも、いろいろとご指導いただいた辻先生のお蔭である。

 互いに向かい合って「大學」を通して人生を顧みると、次の人生が見えてくるから面白い!

 私塾とは、こうでなくっちゃ!

 

■作家 童門冬二さんと記念撮影

171123童門冬二さんと記念写真

2017.07.27 Thursday

再び掛川、大日本報徳社へ!

 年輪塾の仲間たちとともに報徳修学旅行を敢行、再び掛川の大日本報徳社を訪れた。

 この7月22日のことである。

 掛川の大日本報徳社を始めて訪れたのは、去年の7月3日、農業協同組合の源流を探るのが目的だった。

 そして、再び大日本報徳社の「経済と道徳の門」の前に立った。

 今回は年輪塾の修学旅行であり、榛村社長に講話をお願いすると快く受けていただいた。

 榛村社長は、国の重要文化財である大講堂での講話の最初に「倫理同体」について話され、”徳を一つ”にすることの重要性を説かれた。

 大日本報徳社にある経済の門は「道徳なき経済は悪である」、道徳の門は「経済なき道徳は寝言である」とある。

 アッ、そうか、このことかと思ったりした。

 この言葉は、金次郎さんが直接言われたものではないとも聞いていたので榛村社長にお聞きすると、金次郎さんの著作の中に、この内容が書かれているとのことだった。

 帰りがけに榛村社長がそっとメモを手渡された

 それには「道徳なき経済は、永遠の道おぼつかなし」「経済なき道徳は、労多くして効なし」と書かれていた。

 あ〜、これが金次郎さんが書かれていたものか、思い出していただいたんだ。

 それにしても榛村社長は凄い。

 まさしく、探していたものがここにある!

  

経済・道徳の門前にて

     【経済と道徳の門前での記念写真】

 

 全国に報徳運動は展開されているが、”相馬は精神性”を、”掛川は経済"を重視しているとのこと。

 だから、この掛川を中心に報徳思想に則った企業が多いんだ。

 榛村社長は講話の中で、「社」の必要性について話された。 

 以前、非営利組織であるNPO法人について、次のようなことを教えてもらったことがある。

 ・地域の課題を事業で改善し、収益をあげることは可能ながらも団体の構成員に分配をしない組織であること。

 ・組織体であるNPO法人は、ボランティアと似て異なること。

 ・単独活動では効果や成果に限りがあるので、多様な連携や協働が必要であること。

 ・第三者から成果が認められ、社会的な信用があること。

 そして今回、榛村社長に報徳流で言えば「生産性」「チームワーク」「リーダーシップと目標」が大切であること。

 「社」とはグループワークであり、小リーダーが多く育てばそれだけ成果がでるとも。

 「社」の存在なくして「報徳」の実行なし!

 ひとつ課題をいただいたような気がした。

 

 最後に、去年伺った折にお約束した年輪塾の”The Kinjirou Song”をシングアウトして終わった。

 これは「唱歌 二宮金次郎」のビートを変えたもので、これならロックでもジャズでもいける。

 年輪塾バンドのメンバーが、はるばる楽器を持参し、大日本報徳社の大講堂で演奏

 来年2月のミュージカルでは、年輪塾の仲間と聴衆が一体化した大合唱を予定している。

 ”古いものも新しい感覚でよみがえさせると時代に受け入れられる”のではないのかな。

 そして、これが”プリコラージュ感覚”だと思ったりする。

 めでたしめでたし!

 

KINJIROU Songのシングアウト 

 【大日本報徳社の大講堂でのシングアウト】

 

 

 

 

 

 

 

2016.12.21 Wednesday

学びてときに之を習う〜年輪塾「処志」〜

 年輪塾は開塾して10年が経過した。

 10年ひと昔と言われるが、ひとつの区切りであることに違いはない。

 この10年は塾訓にあるように、一期を2年として先人(宮澤賢治、宮本常一、二宮尊徳、ジョン万次郎、中江藤樹)に学んだきた。これらの先人に学びために、それぞれに伝道者を自ら選び出し、従来の内容にこだわらず、自分たちが嚙み砕くように学び、一期毎の終わりには公開セミナーを開くなど記録としても残してきた。

 多くの学びを得たと思ってはいるが、学びの真価はこれからである。

 

【大學】には、次のように書かれている。

 「その心を正しうせんと欲する者は、まずその意(こころばせ)を誠にす。

  その意(こころばせ)を誠にせんと欲する者は、まずその知を致す。

  知を致すは、物を格(ただ)すにあり。

 〜ここにある”意(ここばせ)”というのは、心の在り方である。

  「知を致す」ということは、知識を得て知恵に至るということである。

  「物を格す」とは「自分自身を正す」ことである。

  (自分も物の一つであり、突き詰めていえば自分を正すことになる)〜

 

『二宮翁夜話』には【大學】のこの一節について、下記のように記されている。

  ”まず智をみがき、礼を行い、義を踏み、仁に進むがよい。

   それゆえ大學では知をいたすを初歩としている。

   瓦というものは、みがいても玉にはならぬ。

   けれども幾分、光を生じて滑らかになる。

   これが「学びの徳」なのだ。”

 

『知行合一(ちこうごういつ)』

   【大學】には、

  ”知るというは行いの始めであり、行いは知るということが成ったものであって、実はこれは一つである。

  だから、行わなければ本当に知ったとは言えない”とある。

  これを「知行合一」といい、「知る」ことは「行う」ことと一つである。

 「二宮金次郎」は、この「知行合一」(知識と行動の一致)を自ら実践し、道徳に基づいた社会づくりを行い、豊かな実りと心の

  芳醇をもたらした人である。

 「道徳なき経済は悪であり、経済なき道徳は寝言である」という言葉は、掛川の大日本報徳社の経済と道徳の門となっている。

 

 もとより『知行合一』を実践するのが、年輪塾の「処志」である。

 もともとは「中江藤樹学」の中で、童門冬二さんが書かれた「小説 中江藤樹」にある「処士」を年輪塾流にしたものである。童門さんは、”君子=処士”と描かれているが、これを「知識」と「志」の検定をもって認定制度化した。

 年輪塾流の『知行合一』を実践するためには、「処(所)」いわゆる活動拠点を持ち、成し遂げる「志」が必要であるとの意味で「処志」が誕生した。

 今年の6月に「処士検定」(このときは処士だった)を実施し、第一号として眞鍋塾生が合格し「処士認定」を受け、処士の看板が若松塾長より授与されたことは記憶に新しい。

 さらに12月17日には、若松塾長が年輪塾の「処志」総括として人間牧場に看板を掲げ、辻先生と私が「処志」師範の認命を受け、この10年の学びを礎として新たな展開を行うこととなった。

 これから「処志」による年輪塾の私塾ネットワークが始まる!

 

■年輪塾「処志」総括看板を人間牧場に掲げる!

161217年輪塾「処志」総括看板

■年輪塾「処志」についての想いを語る若松塾長

161217年末塾にて

2016.08.12 Friday

金次郎さんの教え

 小田原の報徳二宮神社を後に、栢山にある小田原二宮尊徳記念館を訪れた。

 ここにある往年の金次郎さんの銅像の写真を撮るためである。

 金次郎さん七代目のご子孫である中桐万里子さんから、ここにある銅像が一番本人に似ているということをお聞きしていた。

 誰にも薪を背負って本を読んでいるという幼少期のイメージがあるが、身長は6尺(180儖幣紂、当時としては巨漢の部類だったらしい。頑固だったというが、風貌はどこか私の祖父を思い起こさせる

 記念館のボランティアガイドの方がいい人で、思いがけず、ツーショットの写真を撮っていただいた。

 私の身長は172僂世ら、やっぱり大きいや、ゴツッイなぁ!

 中桐さんは、”今でいうプロレスラーみたいで、怒られると怖かったでしょうね”と言っておられたが、よくわかるなぁ。

 この像は村を回っている時のいで立ちで、朝早くから夜遅くまで村を巡回しており、現場主義のリアリストだったことがわかる。

 金次郎さんの生家に入ると土間があり立派な家で、近所には預けられていた万兵衛さん宅があり、今もご子孫が住まわれている。

 この生家など金次郎さんに係るものが散逸していたのを買い取って集め保存したのは、真珠で有名な御木本幸吉さんであると記念館の方に教えていただいた。金次郎さんは、経済界の方に大きな影響を与えていたことは、このことでも理解できる。

 今回の報徳の旅で得たものは大きい。

 私にとっての「金次郎さんの教え」は、

 至誠・・・誠を尽し、やり遂げる

 勤労・・・弛まず学び、そして働く

 分度・・・自分の身の丈にあった分限を守る

 推譲・・・分度を超えたものを蓄積し、自分以外のことに役立てる

 

 あらし山に、この至誠」「勤労」「分度」「推譲」を額に掲げ、自分の仕事の目標にしよう!

 

金次郎さんと記念撮影

回村の像(往年の金次郎さん)

 

金次郎さんの生家

金次郎さんの生家

2016.08.08 Monday

金次郎像の由来

 7月5日、鷲山先生の紹介で小田原城内にある報徳二宮神社に、草山理事長さんを訪ねた。

 金次郎像の由来を聞くためである。

 金次郎像が最初に作られたのは明治43年で、彫金家「岡崎雪聲」(おかざきせっせい)が銅像を作り東京彫工会に出品した。この像を明治天皇が見られて気に入り買い上げられたという。

 そして、この銅像が学校に設置された金次郎像の基本的なデザインと言われており、現在は明治神宮宝物殿にあるらしい。

 金次郎さん七代目のご子孫である中桐万里子さんから、戦時中に金次郎さんの銅像は金属拠出令により出征したが、報徳二宮神社にある金次郎像はご神体であるため、唯一、拠出を免れて残っているとお聞きした。

 なるほど、台座にはしめ縄が張られ他の像とは存在価値が違う。

 (確か、わが年輪塾が実施した学校の金次郎像の調査では、堀江小学校の金次郎像は出征したが戦後の闇市で地元の人が見つけ、持って帰って台座に置くとピッタリだったという話があったなぁ。)

 この金次郎像に会うために、遠路、小田原城内にある報徳二宮神社にやってきた。

 さらに道を隔てたところにある報徳博物館で、金次郎さんの直筆を見た。

 学芸員さんによると、あまり字は上手ではなかったらしい。

 あぁ〜、ホッとしたぁ!

 

報徳二宮神社の金次郎像

報徳二宮神社の金次郎像(ご神体であるために残った唯一の戦前の銅像)

 

金次郎さんの直筆

金次郎さんの直筆(報徳博物館の許可を得て撮影)

2016.07.31 Sunday

大日本報徳社と掛川の報徳運動

 私が講話をさせていただいた7月3日の大日本報徳社7月常会は、なんと第1689回目であった。

 どんな時にも、欠かさず月の常会が行われたといいうから、140年の間たゆまず続いていたことになる。

 これは凄い!

 報徳運動は、江戸時代の終わり頃から、二宮金次郎の唱えた「報徳」を普及し、道徳と経済の調和を説き、困窮する農民の救済をはかる実学的な方法として全国に広まった。特に静岡県では明治時代には420社の「報徳社」が結成され、やがて掛川は全国の報徳運動の中心地となる。

 人間の欲を認めながらも周りとたくみに調和させ、心もお金も同時に豊かに育もうという金次郎さんの考えは、農村救済の枠を超えて幅広く浸透し、渋沢栄一安田善次郎豊田佐吉松下幸之助、土光俊夫をはじめ、多くの経済界の人たちにも多大な影響を与えたといわれている。

 そして、二宮金次郎さんから直接教えを受けた岡田佐平治・良一郎により遠江国報徳社が創設され、岡田良一郎は明治7年(1874年)に資産金貸付所を創設し、それが掛川信用組合を経て日本で最も古い掛川信用金庫となった。 

 さらに、産業に関する協同組合的な考え方は、やがて産業組合となり農業協同組合の原点となっている!

 大日本報徳社の事業は、戦後の混乱期で挫折しかかったが、GHQの好評価などでよみがえり日本の復興を担った。

 現在の榛村社長は第八代目で、元掛川市長で、生涯学習運動とまちづくりを推進されたことでも知られる。

 榛村社長は、大講堂など六つの近代和風木造建築群の保存修復を行われ、大日本報徳社は平成24年から公益社団法人に移行した。

 

 大日本報徳社の常会は「報徳訓」の唱和で始まる。

 この報徳訓は、金次郎さんの教えを108字にまとめたものである。

---「報徳訓」----

 「父母の根元は天地の令命に在り、 身体の根元は父母の生育に在り、子孫の相続は夫婦の丹精に在り」

  「父母の富貴は祖先の勤功に在り、わが身の富貴は父母の積善に在り、子孫の富貴は自己の勤労に在り」

  「身命の長養は衣食住の三つに在り、衣食住の三つは田畑山林に在り、田畑山林は人民の勤耕に在り」

  「今年の衣食は昨年の産業に在り、来年の衣食は今年の艱難に在り、年々歳々報徳を忘るべからず」

 

 続いて、榛村社長の講話があり、不肖私の講話と続いた。

 当日、二宮金次郎さん七代目のご子孫である中桐万里子さんが飛び入りで参加され、閉会後、榛村社長と鷲山先生ご夫妻とともに昼食を兼ねての懇談会と相成った次第である。

 これは、豪華メンバーですぞ〜。

 続いて、夜は夜で鷲山先生のご自宅で、地域の報徳メンバーとの交流会。

 鷲山先生のお父さんは生粋の報徳運動者で、ご自宅は豪農を思わせる歴史ある建物(築後120年ほど)で、これは補修管理が大変だ。

 集まった方々から、それぞれの報徳のお話を聞き、美味しいお酒とともに参った、マイッタ。

 というわけで、掛川の夜は更けていく。

 さすが、掛川はレベルが違う!

 

榛村社長の講和

■講話をされる榛村社長(掲げてあるのが報徳訓)

 

大日本報徳社での懇談

■向かって左から、金次郎さん七代目の中桐さん、鷲山先生ご夫妻、榛村社長

 

鷲山邸での交流会

■鷲山邸での交流会(向かって右に立っておられるのが、当邸の主人である鷲山先生)

 

2016.07.28 Thursday

経済と道徳の門

 7月3日に掛川の大日本報徳社を訪れた。

 TPPと農協法改正で揺れる農業協同組合の源流を探るのが目的だった。

 年輪塾の尊徳学で、お世話になった二宮金次郎さんの七代目のご子孫である中桐万里子さんに”報徳社の活動を勉強したいんですが、どこがよろしいですか?”と尋ねると、”掛川の大日本報徳社がいいと思います”と教えていただいた。

”どなたか、ご紹介いただけませんか?”と尋ねると、”なにを言ってるんですか、鷲山先生がいらっしゃるじゃないですか”と言われ、あ〜そうだったと納得した。

 鷲山先生は、東京学芸大学の元学長さんで、年輪塾で「尊徳公開セミナー」を開催した折にパネラーとしてお世話なり、それから昵懇にさせていただいている。早速、鷲山先生に”大日本報徳社の活動を勉強したいんですが?”と申し上げると、”お前が来るのなら月例会で話をしろ”との指示をあり、なんと120年ほど欠かさず実施されている伝統ある毎月の学習会に講和をするということになった。(若松塾長からは”それは、まさしくメクラ蛇におじずだなぁ”と言われたが・・・)

 浜松経由で、掛川駅に立つと駅前で金次郎像が出迎えてくれ、高知城とうり二つの掛川城の下を歩いて、大日本報徳社に到着。

 すると、目の前に「経済と道徳の門」が現れた。

 聞いてはいたが、目の前にあると感無量で、とうとう来たかと思いが募る。

 向かって、左は経済で「道徳なき経済は悪である

 向かって、右は道徳で「経済なき道徳は寝言である

 金次郎さんが直接、言った言葉ではないが、まさしく名言である。

 掛川は、報徳運動の盛んな土地であり、

 ふと「運動なき協同組合はカスである」と思った次第である。

 下の建物は公会堂で国の重要文化財であり、文部科学省の指定書には「旧遠江国報徳社公会堂」とある。

 「至誠」「勤労」「分度」「推譲」だぁ!

 まさしく、農業協同組合の源流がここにある

 

大日本報徳社01

 

大日本報徳社02

2015.10.07 Wednesday

「年輪塾」十年の計

 若松進一さんが人間牧場を開設されて十年がたち、その水平線の家で、年輪塾公開セミナーを開いた。
 この10月3日のことである。
 年輪塾は、人間牧場と同じ時期に開塾し、早いもので足かけ十年が経とうとしている。
 この間、歴史的な先人に学ぶということで、5回の公開セミナーを開催した。
 第一回は、農民詩人でもある有機農業で有名な星 寛治さんを招いて、「宮沢賢治と私」というテーマで、農民芸術論を語っていただいた。
 第二回目は、民俗学の「宮本常一」を取りあげ、ノンフィクション作家の佐野眞一さんをお招きした。
 第三回目は、経済の視点ということで「二宮尊徳」を取りあげ、七代目のご子孫である中桐万里子さんをお招きした。
 第四回目は、土佐の偉人「ジョン万次郎」を取りあげ、市井のジョン万次郎研究家である青野 博さんにいろいろと教えていただいた。
 第五回目である今回は、地元学をということで、大洲の「中江藤樹」を取りあげ、中江 彰さんをお招きした。

年輪塾公開セミナー
 
 塾頭として、事にあたったが、自分の人生の棚卸しをしたようなものであった。
 出会いは、不思議なものである。
 まず、「二宮翁夜話」と出会った。
 自分なりに解釈した資料を編さんし、年輪塾のメーリングリストで配信した。
 この作業の中で、二宮金次郎の人となり、その思考法を学んだ。
 続いて、「学校の二宮金次郎像」の調査である。
 塾生全員が手分けをし、愛媛県内の全ての学校の金次郎像を、くまなく調べ上げた。
 この時に出会ったのが、「大學」である。
 金次郎像が手にしている本の内容は、全て「大學」の一節であることがわかった。
 
 そして、中江藤樹を学ぶうちに、なにごとも「大學」が基本であるということに気がついた。
 朱子学や陽明学だという人もいるが、”金次郎さん”も”与右もんさん(藤樹先生)”も、ともに学者が嫌いである。
 それではということで、 「大學」の素読を思い立ち、年輪塾で素読を始めた。
 門前の小僧で、読んでいるうちに、わかったような気になるから不思議である。
 
 「大學」に書かれていることは難しい。
 藤樹先生は、それを誰にでも分かり易い言葉にしている。
 それが、「五事を正す」である。
 地元の大洲藤樹会の辻会長に、扇子に書いていただいた。
 もちろん、辻会長は年輪塾の塾生でもあるが、文武両道の人である。
五事を正す

 この「五事を正す」こそが、年輪塾の十年の計である。

 私は、常に、十年が節目であると思っている。
 年輪塾のこの十年は、学びの十年であった。
 継続といいながら、変化しないものは続かない。
 年輪塾の開塾の目的のひとつは、「私塾ネットワーク」であった。

 まず、この十年にやり残したことを片づけたいと思う。
 ひとつは、宮本常一を学びなおすことである。
 二宮金次郎、ジョン万次郎、中江藤樹の目線で、宮本常一を捉え直したい。
 そこに、大きな学びがあると思う。
 二つめは、ジョン万次郎の”英語についてである。
 ジョン万次郎の功績の一つであるが、今、注目に値すると思っている。
 三つ目は、「論語」の現代語訳と解釈資料の配信である。
 年輪塾で、ひととおり全部、読み終えたい
 断片では、孔子の全容がわからないからである。 

 最後に、出来るかどうかわからないが、年輪塾の「処士」の資格をつくること。
 年輪塾も修了ということも考えていいのではないかと思う。
 まず、「大學」の素読と解釈ができることが学科で、知行合一のなかで実践していくことが実技であり、「五事を正す」ということも含まれる。
 修了者(処士)が、これから私塾ネットワークを形成していくことになるのではないか。

 なにごとにも節目は大切である。
 この年輪塾の十年、やっと重いものをおろせたような気がする。
 これからは、ひとつ、ひとつ、整理して、落葉樹が葉を落としていくように過ごしたい。
 人生には限りがあり何事も引き際が肝心である
2015.07.14 Tuesday

あらためて「心学」を学ぶ 〜年輪塾 修学旅行 雑感〜

  やはり、行ってみなければわからない。
 現場をみれば、感じることが沢山ある。
 そんな旅だった。
 7月10日夜行バスに乗り、翌早朝、大阪に到着。
 高知・神奈川からの塾生と合流しつつ、一路、近江の国小川村(現:滋賀県高島市安曇川町)へ。
 列車の窓から見える琵琶湖畔は、学生時代の合宿以来、実に40年ぶりである。
 11日9時過ぎにJR安曇川駅に到着
 駅のホームを出ると、中江藤樹先生がお出迎え。
 JR安曇川駅の前にある中江藤樹像の顔が、大洲の藤樹像とは雰囲気が違う
 なんでだろう!

中江藤樹像(JR安曇川駅)

 午前中は中江彰先生の案内で、ゆかりの地を散策。
 中江彰先生は、10月3日の藤樹学公開セミナーの講師でお招きすることになるが、今回の修学旅行は、その招聘を兼ねての旅でもある。
 その中江彰先生の前で、こともあろうに「大學」の素読を決行、参加の塾生が輪読し一巡でなんとか終了。
 ホッと安堵。
 その後、藤樹記念館にて中江彰先生の講話があり、
 1.孝行の「孝」はの字は、老人(親)を子どもが背負う意味であること。
 2.「孝」の基本は「愛敬」で、親は子どもを愛し、子は親を敬うことであること。
 3.「孝」は突き詰めれば「太虚」であり、「万物一体の仁心」(伝習録)であること。
 4.々Х弌↓大學、C耆任鮟鼎鵑犬燭海函
  ・・・などを学んだ。
  再度、孝経を紐解かねば・・・。

中江彰先生

 同行の岡崎さんは、翌早朝から自転車で琵琶湖畔を長駆し取材。
 このあたりは家々に蔵があり、経済的に豊かだったんだろうねと教えてくれた。
 そう言えば、平坦地で琵琶湖の恵みがあり、地理的に都のバックヤードとして経済的に恵まれ、穏やかな土地柄と推察。
 藤樹先生はお母さんが心配だったこともあるが、生まれ育ったこの地への望郷の念も強かったに違いないと思ったりした。
 無理を押して、この地に帰ったことにより藤樹先生の学問が花を開いたが、大洲肱川と琵琶湖畔との風土の差は意外と大きいのかもしれない。
 また、藤樹先生は陽明学の祖といわれるが、その思想は王陽明に影響を受けつつも独自の思想としての「心学」だと此処にいると実感する。
 朱子学だ、陽明学だという学者の学問は、あまり意味がなく、金次郎さんは「天道」と「人道」を説いた人であるが、藤樹先生は「人道」を究めた人だと思ったりした。
 お二人から、学問とは人生を豊かにするためのもので、学問のための学問は不要だぞと言われたような気がした。
 藤樹先生の学問は「心学」であり、それは明徳を明らかにすることである。

藤樹先生のお墓
(左:中江藤樹先生のお墓、右:お母さんのお墓)
2013.10.07 Monday

学びにおそき時はなし

  昨日、電話が鳴った。
 愛南町の上田来喜さんからである。
 ”明日、行きますのでよろしくお願いします”とのこと。
 ありぁ〜、すっかり忘れてたぁ!
 石鎚みすゞコスモスから、「金子みすゞ 生誕110年によせて 金子みすゞ物語」のご案内をいただいてたんだぁ。
金子みすゞチケット
 来喜さんは、もう常連である。
 年輪塾で一度、石鎚みすゞコスモスの催しで、「金子みすゞ」と出会ってから恒例行事のように参加されている。
 それも愛媛県の南端の愛南町を朝6時に出発し、片道4時間をかけて新居浜市まで、日帰りでやってくる。
 今年は、少し趣向が変わり、矢崎節夫先生が「金子みすゞ」を発見した原点に帰った内容であった。
 一龍斎春水先生の講談、らくさぶろうの朗読、そして矢崎節夫先生の講話と続き、あらためて「金子みすゞ」と再会したような気がした。
 今回は、特に一人娘の”ふさえ”さんにお会いできた。
 86歳になられ、命を賭して娘を守ったお母さんの真意がわからず悩まれたこと、やっとお母さんと向かい合うことができたこと、などを話され、感無量でお聞きした。
 まさに、心が洗われるひとときであった。

 金子みすゞの詩もさることながら、矢崎節夫先生のお話が実にいい
 矢崎節夫先生のお話を聞くために、毎年、参加しているようなものである。
 そのまなざしが実にやさしく、温かい。
 かくありたいと思って帰るのだが、いまだ実行できないでいる。
 今日は、仏教でいう空(くう)についてわかった気がした。

 歳を重ねないとわからないことがある。
 ありがとう、来喜さん、電話をいただいたお陰です。
 お礼に、主催された石鎚みすゞコスモスの矢幡代表とのツーショットをお送りします。

上田来喜さん
 

 

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