風の便り from あらし山

雲の変化を愛でて、自然の移ろいを語り、人生の機微を楽しむ。ある時はミカン山から、ある時は雑踏の中から、雲の変化の如く・・・。
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忘れていた「報徳」の功労者 ”安居院庄七”(後)

 愛媛県農協中央会でいただいた本の参考文献の筆頭に「報徳開拓者 安居院義道」鷲山恭平:著とある。なにか聞き覚えがあるような気がするけど誰だろう・・・と調べると、大日本報徳社の鷲山社長のお祖父さんだった。ちなみに鷲山社長のお父さんも農業改良普及員をされ、農業技術の普及改良に尽力されたと聞き及んでいる。

 これも何かのご縁だなぁ!
 さて「報徳」を全国に広める志を立て郷里を後にした庄七は、旅先で村々の困窮と復興の様子や農業の実態を見て回った。金次郎さんの「新田開発は心田開発」の教えにも忠実で、人の心と同時に農業を大切にしていた。農業は素人だったが秦野の村の立て直しにに成功したこともあり、やがて最新の優れた農業技術・経営の指導者となる。それが「報徳」の普及に大いに役に立ち、お茶、養蚕、野菜。タバコなどの換金作物の導入や合理的で新しい栽培技術も指導したらしい。

 1847年春、弟とともに遠州浜松宿に近い下石田村(現在の浜松市東区下石田町)の庄屋・神谷与平治を訪れ、庄七なりに学び実践してきた報徳仕法を伝えると下石田報徳社を設立する運びとなった。「報徳社」とは報徳仕法を実践する地域の組織で、設立は3番目だが「報徳社」と初めて名乗った

 ここで特筆すべき点は、庄七が主導した遠州での「報徳」が農業技術の改良と結びついていたことである。最新の農業技術が「報徳」と一体となって広まっていき、「報徳」は当時の農民にとって先進的かつ実用的な教えだった。後になって大日本報徳社が農業技術の普及改良に力を入れ、それが農業協同組合に引き継がれたことも無関係ではない。

 安居院庄七は商人である。しかも金次郎さんに直接教えを受けたわけでもなく、金次郎さんの所にいたのは1ヶ月に満たず、金次郎さんが実践してきた仕法や考えを全て学び理解できる筈もない。遠州に伝わったのは庄七流の「報徳」で、金次郎さんが指導した「報徳」のやり方とは系統が違うかもしれないが、新しい意味での”「報徳」運動”だったのではないか。金次郎さんが手がけてきた報徳仕法は幕府や藩などによる上からのやり方(仕法)で、今でいう”行政プロジェクト”である。一方、庄七たちは庄屋が中心だったとは言え、あくまでも農民側の自発的な「運動」であった。

 そして1853年9月、ついに庄七たちは金次郎さんと面会を果たす。ただ「報徳社」を名乗っているものの「報徳」の創始者である金次郎さんから認知されていた組織ではなく教えを受けたわけでもなかったが、金次郎さんはこれら遠州報徳社を高く評価し、全て直系の報徳仕法組織として認知した。さらに岡田左平治の息子の良一郎の入門を認め直弟子とした。この良一郎の子供が、岡田良平、一木喜徳郎で、遠江国報徳社から大日本報徳社へと明治以降の「報徳」運動を牽引していくことになる。

 安居院庄七は、各地を回る時には農繁期には商業地域に、農閑期には農村に行っていたという。農業ばかりではなく商売の指導も行い、「報徳店」とか「元値商い」で、「現金掛け値なし」で繁盛させたという。教えを受けた商人たちは「売り先、買い先は父母の如く心得るべし」「苦労なければ利益なし」「信用はその身その家の資本なり」などを商家の心得とした。このことは「報徳」が企業活動に取り入れられ、多くの財界人が「報徳」思想を信奉していることと無関係ではない。庄七は、酒はほとんど飲まず、食べ物は質素で、服装は無頓着だったようだが、大日本報徳社の鷲山社長によると”庄七は苦労人で、人情の機微をよく心得ており、何か愛嬌があり憎めない人だったんだろうね”と言われていたのが記憶に新しい。

 庄七は歌が上手で、道歌が残っている。

 「乱杭(らんぐい)の長し短し人こころ 七に三たし五に五たすの十

 (乱杭は川辺に立てた杭のこと。長いものや短いものと色々あって、川の水の流れや水の量をうまく調節し、勢いをやわらげることで、長短の杭全体が護岸や堤防を守る働きをしている。人間は十の心が全般にわたって一番良いが、そんな人間はいない。人の心は七つの心、五つの心の、三の心もいる。それぞれの思い、考え方、知識は違うが、互いが理解し合い、助け合い、補い合うことで、十の優れたものになっていく。)

 1847年、安居院庄七は静岡県浜松市下石田に「報徳社」を設立した。同じころヨーロッパでは、1844年にイギリスで「ロッチデール校正先駆者組合」ができ、協同組合が誕生した。戦後、高度経済成長を経て豊かで便利になったが、一方で社会不安はますます広がっている。本当に豊かになったんだろうか?

 安居院庄七は、身を以て「運動」の大切さを教えてくれている。

 さらに今流の協働ではなく、あくまでも「協同」であることも。

 

 ♫ どんなものにもよさがある、どんなひとにもよさがある

  よさがそれぞれみなちがう、よさがいっぱいかくれてる

 ♫ 一人の人間は、とても弱いけれど、

  それでも皆が皆が集まれば、強くなれる、強くなれる

 

【報徳を広めた功労者:安居院庄七】

安居院庄七

【安居院庄七揮毫屏風(大日本報徳社蔵)】

安居院庄七揮毫屏風

 それ天に逆らえばすなわち道なく、地に逆らえば徳なし。

 しかるに本居より外に走れば、すなわち根国に没落す。

 ゆえに情を天地に斉しく、想いを風雲に乗せる者は、道の本に従うを為し、神の要を守るを為す。

 まさに万語の雑説を除き、一心を挙げて定準を知らんとす。

 すなわち天命配して、神気を嘗めん。

  (大日本報徳社「報徳誌」10月号より)

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