風の便り from あらし山

雲の変化を愛でて、自然の移ろいを語り、人生の機微を楽しむ。ある時はミカン山から、ある時は雑踏の中から、雲の変化の如く・・・。
<< December 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
 
CATEGORIES
RECENT COMMENT
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
「楽農ゼミナール」2018 〜宮澤賢治との出会い〜

 宮澤賢治の「農民芸術概論綱要には、こう書かれている。

〜 おれたちはみな農民である。

    すいぶん忙しく仕事もつらい。

  もっと明るく生き生きと生活をする道を見つけたい。

  いまやわれらは新たに正しき道を行き、われらの美をば創らねばならぬ。

  芸術をもてあの灰色の労働を燃やせ。

  なべての悩みをたきぎと燃やし、なべての心を心とせよ。

  風とゆききし、雲からエネルギーをとれ。

  ここにはこれら不断の潔く楽しい創造がある。

  都人よ、来ってわれらに交われ、世界よ、他意なきわれらを容れよ。〜

 ・・・と。

 この「農民芸術概論綱要」を知ったのは、今から10年前のこと。

 年輪塾の第一回目の公開セミナーに山形から農民詩人でもある"星 寛治"さんをお招きして「宮沢賢治と私」と題して講話をしていただいた時である。上記の文章はかなりの要約であるが、この中に宮澤賢治の志が凝縮されていると思っている。

 小さい時から来る日も来る日も、ミカン山で農作業をしている両親の後ろ姿を見て育った。家業を継ぐ身であるにもかかわらず、その期待に応えられなかったが生まれ育った在所やミカンづくりが嫌いなわけではない。ただ成り行きに任せたわけではないが、振り返ると宮澤賢治を追いかけてきたたような気がする。

 学校では農芸化学を学び、仕事は土壌肥料の技術者だった。ミカン農家の出であるにも関わらず米麦の栽培指導もし、”あきたこまち”の導入や愛媛初のブランド米”こいごころ”を手掛けた。おまけに気象予報士となり”農家の農家による農家のための気象配信事業”の創業にも携わった。

 ちなみに、一番好きな宮澤賢治の作品は「グスコーブドリの伝記」である。

 羅須地人協会(らすちじんきょうかい)は、宮澤賢治が大正15年に花巻市に設立した私塾で、農学校を退職した後、ここに拠って自身も農業をしながら生活し、チェロを演奏しレコードを聴かせたりした。現在は花巻農業高校の敷地内に移築復元され、二度ほど訪れたことがある。

 定年を迎え両親がこの世にいなくなるなど想像もできず、生まれ育った我が家が負債として重くのしかかった。県の公益財団法人”えひめ地域政策研究センター”で地域づくりの仕事をし、若松進一さん達との出会いがなければ、この日は来なかったと思う。

 この10月8日は、生まれ育った在所を「あらし山」と号し生家を「あらしやま山荘」としてリニューアル現代の羅須地人協会として再生した日となった。これに先立ち、先月15日は掛川から大日本報徳社の鷲山社長が来られ、”ここは以前訪れたチロルの谷によく似てるよ”と言われた。それから、この在所を「あらし山チロルの谷」と称することにした。

 この日は地元八幡浜市日土町の皆さんなど49名の方が”あらしやま山荘”に寄り、鎌倉 研さんの歌と語りを堪能した。地元紙の愛媛新聞にも紹介され、ようやく”大願成就”である。

 生まれ育った在所と生家が”宝物”に変わった。

 有難い!

 

【10月15日付け愛媛新聞】

181015愛媛新聞「楽農ゼミナール」

【あらしやま山荘での「楽農ゼミナール」平成30年10月8日】

楽農ゼミナール2018

 

 

 

 

 

 

コメント
コメントする









 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://wind.arashi-yama.net/trackback/1187175
 

(C) 2019 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.