風の便り from あらし山

雲の変化を愛でて、自然の移ろいを語り、人生の機微を楽しむ。ある時はミカン山から、ある時は雑踏の中から、雲の変化の如く・・・。
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星めぐりの歌

 5月29日、松山市内のライブハウスで行われた松田幸一さんのハーモニカライブでのこと。

 何曲か演奏された後、宮澤賢治の話をされ、これから「星めぐの歌」を演奏しますと言われた。

 いきなりだったので、慌ててカメラをセットしたが、かろうじて間に合った。

 ariさんのハーモニカとやさしい歌声に、しばし聴き入ったが、自称、宮澤賢治研究家としては至福のひと時であった。

 

 この「星めぐりの歌」は、言わずと知れた宮澤賢治の作詞・作曲である。

 歌に登場する「あかいめだまのさそり」とはさそり座の心臓アンタレス「あをいめだまの小いぬ」とはおおいぬ座のシリウスであり、「へびのとぐろ」とは逆S字が特徴のりゅう座のことである。また「小熊のひたいのうへは そらのめぐりのめあて」とは北極星のことを指している言われるが、北極星は本来こぐま座の尾の先の星である。α星を「めだま」と表現するなど、星座の一般的な解釈とは異なる部分もあるが、歌詞は夜の天空の幻想的なイメージに満ちており、そのメロディーは親しみやすい

 

 「星めぐりの歌」

    あかいめだまの さそり
    ひろげた鷲の つばさ
    あをいめだまの 小いぬ、
    ひかりのへびの とぐろ。

 

    オリオンは高く うたひ
    つゆとしもとを おとす、
    アンドロメダの くもは
    さかなのくちの かたち。

 

    大ぐまのあしを きたに
    五つのばした ところ。
    小熊のひたいの うへは
    そらのめぐりの めあて。

 

【松田 ar 幸一さんの演奏】2018.5.29

”道徳”と”報徳”は違う!

 今月3日付けの地元紙の1面を見て驚いた。

 それは、先日のこと急逝された榛村社長の後を受けて、大日本報徳社の社長になられた鷲山先生と話をしたばかりだったからである。それは小学校で行われようとしている道徳教育のことであった。

 その道徳教育の始点となるのは、いつの時期なのか?

 明治期から始まった組織的な道徳教育だとすれば、考え直さないといけない。

 その上に生徒個々を評価するとなれば、さらに問題であろう。

 かつて、県内の小学校の二宮金次郎像を精査したことがある。

 その原点となるのは明治天皇が「報徳記」を読まれていたく感動され、これこそ求めていたものであると教科書に載るようになったが、やがて国策に利用されていく。中江藤樹先生も大洲藩の頃に、幕府の文治政策に利用された林羅山の儒学を厳しく批判したことがある。国策に利用されるとロクなことがない。

 金次郎像が持っている本に書かれ、中江藤樹先生が本としたのも「大學」である。

 最近、大切なのは解釈であり、受け取り方であることを「大學」から学んだ。

 本題に戻ると、”道徳”と”報徳”は似て異なるものである。

 戦前の道徳教育の上にたって、二宮金次郎を理解してはいけない。

 二宮金次郎に学ぶべきものは、前半の人生ではなく後半にある。

 しかも、金次郎が言っているのは"勤労"であって”勤勉”ではない。

 ”報徳”は、すべてのものは同じ起源であるが能力や役割はそれぞれ違い、それを見出し役立てることである。

 金次郎像が持っている本には、"一家仁なれば一国仁に興り、一家譲なれば一国譲に興り”と書かれてあり、家庭教育の必要性が書いてある。まず親から子に、家族から地域にと”徳”を広げていくことが基本ではないか。

 知識はあっても学問を成さず、学びもせず、躾もできていない親こそ、問題ではないか。

 彼らを養育したのは我々であるが・・・・。

 

■5月3日の愛媛新聞1面掲載記事

愛媛新聞記事

ハナミズキ(花水木)

 あらし山の”ハナミズキ”が白い花を咲かせている。

 山荘への私道の入口に何本か植えたのだが、耕土が浅いためか枯れたりしたので都度植え直したり、夏は潅水をしたりしてきた。そのせいか厳しい冬の寒波にも耐え、少しずつ大きくなり花を咲かせてくれている。

 ハナミズキの原産地は北アメリカ東部で、米国東海岸からミシシッピー川あたりまで自生しているという。

 そういえば、かつて読んだ”ジョン万次郎”の生涯を描いた小説「椿と花水木」(津本 陽)には、”花水木(ドック・ウッド)の薄紅や白の花が、けざやかに浮き立ちフェアヘブンの町なみの眺めをにぎわす六月がきた。”、という文章がある。万次郎が乗っていた漁船が難破し、漂流していたところを助けてくれた捕鯨船のホィットフィールド船長に伴われ過ごしたフェアヘブンの町はマサチューセッツ州にある。

 ハナミズキは米国では「ドッグ・ウッド」といい、この小説の「ドッグ・ウッド」の章には万次郎とキャサリンの淡い恋が描かれている。この恋が実際にあったかどうかは不明だが、多感な青年期の万次郎が米国で恋をしたと考えても不思議ではない。むしろ、このノン・フィクションかもしれない恋が、小説の中の万次郎を明るいものにしている。

 ”椿”は万次郎の生まれ育った足摺岬を、”花水木”は教育を受けた米国の街なみを表していると思うが、案外、万次郎とキャサリンの淡い恋心かもしれない。

 

 花水木には、一青窈”さんが作詞した「ハナミズキ」という名曲がある。

♬ 空を押し上げて

  手を伸ばす君 五月のこと
  どうか来てほしい
  水際まで来てほしい
  つぼみをあげよう
  庭のハナミズキ

  薄紅色の可愛い君のね
  果てない夢がちゃんと
  終わりますように
  君と好きな人が
  百年続きますように

 

 歌ってみたいと思うが、なにせリズムが難しい。

 でも花水木の花が綺麗に咲いてくれたので、ちよっと頑張ってみるかな。

 

【あらし山のハナミズキ】

 

180410ハナミズキ

コブシ(kobus)の花が咲いた

 あらし山のコブシの花が咲いた。

 苗木を植えてから、いつかいつかと心待ちにしていたが、ようやく花が咲いた。

 と言っても、♪こぶし咲く あの丘 北国の〜♪という「北国の春」の歌詞に出てくるから植えたわけではない。

 

 ”生きている鳥たちが 生きて飛び回る空を

  あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは

    目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう

  近づいてご覧なさい 辛夷(こぶし)の花があるでしょう”

 ・・という、学生の時に高石ともやとナターシャセブンの「宵々山コンサート」のレコードで聴いた、この歌に共感したからである。

 「私の子供たちへ」という歌であること、作者は笠木透さんであることは後で知った。

 とにかく、レコードから歌詞を聞き取り、演奏すべくコードを探った。

 この歌は田舎の自然の中で育った者として、この環境をどう次代に遺していくかという問題提起をしてくれた。

 これが、今の「あらし山」の原点になっている。

 ”父さんは”というところは、”爺ちゃんは”となってはいるが・・。

 

 この花はモクレン科で、学名は”kobus”というらしい。

 別名「田打桜(たうちざくら)」や「種まき桜」ともいい、昔の人はこの花が咲く頃に 田植えを始めたり、種を蒔いたりした。花の向きから豊作になるとどうかを占ったりしたようである。蕾が開く直前の形が子供の握りこぶしに似ていることや、コブシの実はゴツゴツしていることから”こぶし”と名がついたとも言われる。

 花言葉は「信頼」である。

 

コブシの花

達成の桜

   2011年の桜は「再起動の桜」であった。

 長い間勤務した職場を退職した時に新居浜の武田さんから”リセット&再起動ですね”とのメッセージをいただいた。

 あぁ、そうかと思い、その年の桜は「再起動の桜」とした。

 今年は「達成の桜」である。

 両親がリタイアし、どうしようかと思っていた生家を「あらしやま山荘」としてリニューアルし、代々のミカン山も「あらし山」として再生することができた。この地で年輪塾で学んだことを反芻し、あらたに二宮金次郎の「報徳」と宮澤賢治の「農民芸術概論綱要」の融和をはかり実践をしてみようと思う。

 最後にやり残した”気象の仕事”も、この3月末を以て終了した。

 これからは気象予報士を取得した初志に帰り、義務感なくライフワークとして取り組もうと思う。

 空をみあげ雲の観察し、季節を感じる、フィールドに徹する「臨床気象学」を提唱したい。

 

 若松さんは去年の年輪塾処志検定の折に、”自分の寿命を想定し、後半の人生設計を組みたてよ”と言われていた。

 すでに82歳を人生の終焉と決めている。

 これは、あらしやま山荘を建てた祖父が亡くなった歳である。

 そして75歳をミカン作りの最後の歳と決めている。

 それは父の後ろ姿をみているからである。

 その歳になるとミカンのコンテナを持ち上げることが難しくなる。

 となると、あと10年が実働年齢といういうことになる。

 

 「大學」に”物に本末あり事に終始あり先後する所を知れば、則ち道に近し”とある。

 世間では今日から新年度が始まるが、あらし山では本日からラストステージが始まる。

 悠々自適なんて思っているわけではない。

 「遺し伝える」ことがテーマである。

 

 -- 「倚りかからず -----

 

 もはや、できあいの思想には倚りかかりたくない
 もはや、できあいの宗教には倚りかかりたくない
 
もはや、できあいの学問には倚りかかりたくない
 
もはや、いかなる権威にも倚りかかりたくはない

 ながく生きて、心底学んだのはそれぐらい
 じぶんの耳目、じぶんの二本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある

 倚りかかるとすれば
 それは
、椅子の背もたれだけ

   (茨木のり子 「言の葉」より)

 

【桜が満開のあらし山】

桜2018

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