11月23日(木)のことである。
小説「中江藤樹」を書かれた作家の童門冬二さんと大洲市民会館でお会いすることができた。
これは童門さんが大洲藩主加藤家-中江藤樹大洲入り400年事業で大洲市民大学に講演に来られることがわかり、特に辻先生にお願いして実現したものである。
年輪塾では歴史上の人物を検証しながら自己研鑽をおこなっているが、二宮金次郎、ジョン万次郎に続いて中江藤樹先生を学んだ。その最初のテキストとして使用したのが「小説 中江藤樹」であった。
この「小説 中江藤樹」に書かれていた「処士」に感動し、”処士になりたい”と叫んだのが当時県庁職員であった眞鍋さんである。
小説には中江藤樹先生が「大學」を読んで感銘し、「処士」になろうと志を立てられたことが書かれていた。
゛「処士」というのはある程度の土地とか家屋などの財産を持っていて、生活するのにそれほど困らないという立場でありながら、自分の学説を国の外に出て説いて回る人々。「処士」というのは、この世に対する立身出世の私欲を捨てた存在だ。自分のまわりで暮らす人々の安寧だけを願っている。”
その後、年輪塾では「中江藤樹学」の成果として、”処士(志)の検定制度”をつくり、これを年輪塾の”修士課程”としている。
年輪塾でいう処士(志)は、「大學」の素読と講釈ができる程度の学力を有し、処(ところ)を得て「志」を立て実践する
者をいう。「処志」となりたいものは、まず”処志師範”の薫陶を受け師範から推薦されなければならない。そのうえで処志検定試験を受けることになる。
世の中には、ともすれば”本末転倒”になることが多い。
大學には「物に本末あり、事に終始あり。先後するところを知れば、則(すなわち)道に近し」とある。
仕事でも地域づくりでも、現象捉えるのみで学んでいることの多くは各論やハウツウであったりするすることが多い。
人生においても仕事でも、直接的に役に立たない基礎的な学問が必要である。
年輪塾で調査した二宮金次郎像が持っている本は「大學」であり、中江藤樹先生が感銘したのも「大學」である。
だからこそ、年輪塾の「処志」になるためには必ず「大學」を自分のものにしなければならない。
この日、童門冬二さんにお会いし処志要綱をお渡しすると、小説に書いたことが実際に行われていることに驚かれた。
そして、次のようなことを教えていただいた。
・「処士」は現在の中国にはないが、実際に古代の中国において行われていたこと。
・「大學」は論語などに比べると文字数が少ないが、孔子の教えの”唯一の理論書”であること。
これをマスターすれば誰でも「処士」になることができる。
・「処士」は、今でいえば経済的にも自立し、民間人だが政治や経済など物事に対してしっかりとした自説を持っており、組織などのリーダーに対して意見具申がキチンとできる人のことを言うこと。昔から大衆は付和雷同しやすく惑わされることが多いが、その大衆を導きアウフヘーベン(高揚)することができる人である。
・常に他人の立場にたって物事を考えることができる人でもある。
処志師範の役割は「大學」をマスターする過程で人生の棚卸をし、それでもって新たに”志”を立てられるように導くことである。
このことを眞鍋処士に続く、上田処志・兵頭処志が大學をマスターする過程で学んだ。
そうでなければ、年輪塾の「処志」が”看板倒れ”になってしまう。
”学ぶ”ということは難しい、これを還暦をすぎてから実感した。
これも、いろいろとご指導いただいた辻先生のお蔭である。
互いに向かい合って「大學」を通して人生を顧みると、次の人生が見えてくるから面白い!
私塾とは、こうでなくっちゃ!
■作家 童門冬二さんと記念撮影
